みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

夏が近くて憂鬱な人の駄文

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暖かい。花が綺麗。

 

いろんな自分を持て余してる。何にせよ、感情を向けられるのは疲れる。ワガママばかりだ。何も知らないくせに、などと思ったりもするが、そもそも自分ですら自画像がわからないのに、もう何でもいいのかもしれない。なりふり構っていられないのだ。こっちは。ただ生きてることに一生懸命なんだよ。

 

できるだけ、今までやってきたことの、ひとつひとつに対するエネルギーを減らしていこうとしてみてる。同じ結果を出しながらも、費やすエネルギーを減らせるのでは?などと思っているが、まぁ上手くはいかない。そもそも、100パーセントでないと後ろめたい気持ちがあるので、そういうところ、もう少しズルくなりたいと思うところ。変に真面目なのがダメなところ。いつも0か100しかないからしんどいし、すぐ息切れするって分かってるのに、ちょうどいいアクセルの踏み方が分からない。結果がないと、愛されないような気がしてしまって、なんとなくね、憂鬱だ。

 

そもそも誰に愛されたいのかって、そんなのとうの昔に分かっていて、絶対にもう手に入らないものを手に入れようとしている。わたしは、あのときの、わたしに、愛されたい。あのときの、あの人に、愛されたい。例えば、これから何かがあって、すべてが変わることがあったとして、それでも、過去は変わらない。だから、もう、愛されても、意味がないのだ。あのとき、は、もう二度と来ない。埋め合わせていけば、癒される日が来るのだろうか。今のところは、来そうにない。いつまでも過去を見てる。愚かだ。だけど、今を見てる自分もいる。いつだって、整合性なんてない。変わっていく自分と、変われない自分が、ねじ曲がって、絡まりながら、今ここにいる。本当に大切なものは、ずっと捨てられずに、たまに顔を出してくる。思い出せ、忘れるな、って足首を掴む。最低だ。全部、自分だから。

 

今がハッピーかと言われれば、ハッピーだね。こんなにいろいろやれてることは今までなかったし、分かりやすく形になってるし、作るものもだんだん良くなってる。作ったものには自信があるし、愛してる。作ったものにはね。でも自分は変わらない。ずっとこのまま。悲しみに頭を殴られてるくらいがちょうどいいんじゃないかと思う自分がいる。悲しみはどうしてこうも甘美なのだろうか。唯一、悲しみこそが世界と繋がれる。ハッピーは非常に個人的であると思う。そういうとこ、ねじ曲がってるんだよね。

 

あーあ。誰か殴ってくんないかな。しっかりしろよ、って。自分じゃ自分を殴れないんだよ。

 

おわり。