みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

タイトルすら決められなくなってきた

どこまで行っても、わたしはわたしのことで頭がいっぱいだ。

 

自分の投げたものが遠くへ行くほど、わたしは内に篭もりたくなる。ひとりでありたい。孤独で無知で、途方もないことを考え続けたい。自分が二人いたらいいのに。本が読みたい。

 

手放したものが多すぎて少し不安定になっているのかもしれない。背中が涼しい。わたしをつなぎ止めていたものが消えていって、とても自由で身軽なのに、とても不安だ。自由であることに慣れない。わざと思い出の宝箱を覗き込んで、メソメソ泣いたりしている。不幸でないことが不安なのだ。そういうところはまだ相変わらずだ。不幸でいるのは心地よい。わたしはまだ頭がおかしいのかもしれない。

 

つまるところ、革命は自分の中でしか起こりえないのだと思う。肉体がどこへ行こうが、何が起ころうが、結局はどのように解釈するかだと思う。変わるか、変わらないか、同じものを見ても感じるものが違うように、内にしか答えはないのだと思う。そんなきがしている。歪んだ形を少しずつ整えている。

 

ペンを取っては、置いている。なにを書くべきで、どんな言葉を選ぶべきなのか、迷っている。曖昧な言葉を選ぶのをやめて、もっと真摯に言葉を選びたい。言葉だけがわたしを革命しうるものだ。言葉だけが。書けないときはいつも、胸のあたりが詰まっている。この塊をひとつひとつ解いていかなくてはならない。ひとつひとつ言語化して、ひとつひとつ見る。名前のないものに、名前をつけていく。名前を付けるためには、言葉が必要だ。だから本が必要だ。本を読まなくてはならない。歪んだわたしの形を変えることができるのは、言葉だけだ。だから読む。そして書く。とてつもなく苦しい。長い長い間、生きるために抑圧していた箱を開けるのだ。開けても開けてもまた新しい箱が出てくる。見たことも無い箱がでてくるんだ。中身を見るのは怖い。

 

最低な場所で、最低の自分でいることは、とても甘美だ。そこで、適当な承認と甘えを味わっているのは、とても愚かで、とても心地が良い。そういうやつが、後ろ髪を引っ張るんだ。全部自分のせいにして、ニコニコしてる方が、わたしにとっては楽なのだ。長いことそうやってきたから。そういう場所が居心地良いと思ってしまっている。箱を開けていく作業の方が何倍も苦しい。歪んだ形を直そうとする方が、よほど難しい。

 

たぶん少し疲れている。

 

おわり。