みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

赤い車

妹が赤い車を両親に買ってもらったらしい。

 

その話をしたら、あなたも買ってもらうか、それとも他の人に買ってもらうか、どうするかですね。と先生に言われた。それからずっとしばらく子どもの頃のことを思い出そうとしていた。正直あまり覚えていない。どういう毎日だったのか。どういう生活をしていたか。ぽろぽろ思い出してきたりもするけど、なんだか本当のことなのか、ただの想像なのか分からなくて、なににとつ確かでない気がする。小さい頃、両親は兄弟ひとりひとりの写真のアルバムを作っていたけど、それを見たのはもうすごくすごく前のことだし、たぶん最後の写真は、叔母さんがくれたお揃いの洋服を着ているわたしと弟の写真だった気がするから、随分と小さい頃の写真までしか入ってなかったような気がする。アルバムが置いてあった大きな本棚みたいな家具は、何年か前に実家に帰ったらなくなっていたから、アルバムもどこにあるのかよく知らない。

 

わたしはずっと「お姉ちゃん」と呼ばれていた。両親からもそう呼ばれていた。弟と妹は名前で呼ばれていたけれど、わたしだけはずっとお姉ちゃんだった。両親も、祖父母もわたしをお姉ちゃんと呼んでいた。だからわたしはお姉ちゃんだった。わたしは自分の名前を呼ばれるのがずっと苦手だった。ずいぶん大きくなって、恋人ができたときも、名前を呼ばれるのがすごく苦手だった。わたしはわたしでなくて、ずっとお姉ちゃんだった。

 

別に不幸ではないし、別に特別ひどい家庭でもないし、きちんとご飯が食べられて、寝る場所があって、着る服があって、進学させてもらえて、なにひとつおかしいことはないんだ。

 

わたしは早く自立したくて、早く逃げたかった。ここは居るべき場所ではないとずっと思っていた。だけど、どこへ行ったらいいかも、なにを求めているかも分からなかった。ずっと分からなかった。

 

子どもが生まれて、子どもが小さかった頃、両親がわたしにしてくれたことと全く同じことを自分の子どもにしたがる時期があった。サーカスへ行く。花火を見に行く。ドライブへ行く。自分の子どもを見ながら、こんなに子どもが愛しいのだから、両親もわたしのことを愛していたに違いない、と、思いたかった。だから同じことをした。その時は分からなかったけど、今はそう思う。確かめたかった。

 

ずいぶん苦しんだけど、もう両親に車を買ってもらうことはないと思う。車の話をしたら、なんだかストンと覚めたものがあった。もう過去は変えられないし、両親も老いていく。すべては終わったことだ。わたしは、わたしの手で、作ることが出来るし、手に入れることもできる。わたしは無価値な人間ではないし、わたしはわたしだ。ここまでたどり着くのに長い長い時間がかかった。でももういいんだ。悲しいけど、悲しいままでも、もういいんだ。わたしはわたしの足で歩いていくし、これはわたしの人生だから、心の中身は変えられなくても、行動は変えられるんだ。でも悲しいけれど。仕方ないんだ。

 

もう少しで誕生日が来るから、今年はすごくたくさんお祝いしたい。自分をお祝いしたい。

 

おわり。