みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

人が死んだ日のニュース


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今年はいろんな著名人が亡くなったニュースが目立つ。気がする。だけど、よく考えたら、自分が生きている時間が長くなればなるほど、知っている人が死んでいく確率は上がるのだ。著名人にしろ、知人にしろ、若ければ若いほど知らない人が多いし知人だって知り合う数は少ない。大人になれば、人生の中で知り合った人や見聞きした人が増えていく。だから、だんだんと亡くなる人が多いように感じるんじゃないかと思う。結局、いつだって誰か死んでいくし、誰か生まれていくんだ。そこに自分がどれだけ出会っているか、という話だろうと思う。

 

子どもの頃、父親や母親が、著名人が亡くなったときのニュースを見ているのがなんとなく嫌だった。どうして死んだ人のことをこんなにも長く放送するんだろう。これまで見向きもしなかったのに、死んだ途端に過去の映像なんか流しちゃって、なんだか嫌な感じだなと思っていた。それを見ている両親も変だと思っていた。だけど、昨日わたしもニュースを見ていたら、息子に「悲しい気持ちになるからこれは見たくない。テレビ消して」と言われた。ああ、わたしもあっち側の人間になったんだなと思った。

 

知らない人の死んだニュースはただただ悲しみと負の感情しか感じないけれど、知っている人や自分の生きてきた時代にリンクしている人の死は違う。過去を振り返ることで、その人が亡くなった悲しみを癒しているのだと分かった。あの映画よかったね、とか、こんな人生だったんだね、とか、テレビ越しにでも共有することで失った寂しさは少し和らぐ。例えばお葬式に行くとみんな故人の思い出話をするように、過去を思い出すことは残された人を癒すのだと思う。誰かが死ぬのはいつだって悲しい。

 

もう会えない人、もう叶わないもの、そういう思い出は、宝箱に入れてずっと持っていていいんだって最近教えて貰った。忘れるでもなく、無理に辻褄を合わせるでもなく、ただ持っていていいんだって。大切にしまっておいて、たまに取り出して眺めたり、思い出して笑ったり、泣いたりしていいんだって。そのままでいいんだって。たぶん、これから宝箱にしまわないといけないものは増えていくんだろうと思う。できれば宝箱に入れずにずっと目の前にいて欲しいけどね。でも、宝箱があるんだよってことは、たぶんこれからの人生を生きやすくしてくれると思う。

 

おわりだよ。ばいばーい。