みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

映画を考えるように、自分を考えるのが癖なんだ

前から知ってたけど、たぶんわたしは考えすぎ。

 

映画を見るのが好きなのだけど、ひらたく言えば難解な映画が好き。エンターテインメントとしての映画よりも、「これは一体何なんだろう」と思わせてくれる映画が好き。映画は写真芸術と違って、偶然の要素がない。すべてはコントロールされている。ゆえに、不必要なものは画面上になにひとつない。というのがわたしの基本的スタンス。だから、いい映画を見たら、その映画についてぐるぐると考える。映画を見たことによって沸き起こる感情、印象、そういったものはなぜ起こるのか。なにが、わたしを悲しくさせ、喜ばせ、時には怖がらせるのか。映画には映像と音と文字と時間の要素がある。そのどれかが、あるいは全てが、わたしにそれを与えているのだ。そして、それを発見し、言語化し、理解することで、また感動することができる。それが好きなのだ。

 

映画の外でも同じだ。何かしらの感情が生まれた時、それについて考える。とくにすぐに言葉にできない感情について、よく考える。この感情はなにか。感情はたいがいひとつではなくて、いろいろな要素が絡み合っている。これはなにか。なにがこれをわたしにもたらしたのか。映画のように要素は単純ではないし、自分というものの中を覗かなければならないから、なかなか難しい。時には人の助けを借りる。自分では見たくないものは見ないようにしてしまうから。そしてわたしが特に重要視しているのは、それを言語化することだ。言語にすることは、理解することであり、言葉で表すことができないと言ってしまうことは思考の放棄であると思う。だから、書く。ひとつずつ書く。小さなことから解いて、言葉にしていく。なんでそんなことをしたいか、それは知りたいことが山ほどあるし、自分のことを理解したいからだ。自分ほど、実態のなく、不確かで、移ろい易く、コントロール不可能なものはないと思う。だから知りたい。それだけなんですけどね。

 

人間というのは基本的に死ぬことについて考えないように出来ている。自分は死ぬのだ、ということを常に思っていたら、心安らかに生活することはできない。だから、誰しも、自分から自分が死ぬことを隠されている。それと同じで、わたしはわたしに隠し事をされているんじゃないかと思うことがある。思い出せないこと、分かってるけれど見ないようにしていること、そしてそのもの自体を意識させないようにされてると思う。だから、もう少し知りたい。隠されているものはなにか知りたい。もしかしたらわたしは物凄い悪人かもしれない。きっと受け入れられないから隠されているのだろう。

 

そんな感じ。知りたがりなんだよね。

 

おわり。