みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

テレビをつけない一日

今日は一日テレビをまったくつけずに過ごしました。普段からほとんどテレビは見ないんだけど、たぶん今日はいつにも増して見るのがしんどい気がしたのでなにも見ませんでした。去年の今日から今までを振り返って雑感をつらつら書きます。

 

個人的な体験を伝えるることの難しさ

一番の変化は、子どもが大きくなってきて、自分から「東日本大震災ってなに?」という質問をしてきたことでした。息子は鉄道が好きなのでYouTubeでいろいろな鉄道の動画を見ていて、その中に東日本大震災が鉄道に与えた影響を扱った動画があり、そこからこの質問をしたようです。それ以来、大きな地震が起きたんだよということから、津波原発の話をしていきました。これは一度にたくさん話したというよりは、ポロポロと「どうして日本は地震があるの?」とか「津波ってなに?」とか、数日空いてから思いついたように質問されることがありました。その度に、自分の知識から説明したり、調べたりして答えました。そのうちに「お母さんはその日どうしてたの?」という質問をしてくるようになりました。本人はその時、保育園児だったので、まったく記憶がないようです。どんな風に揺れたのか、そのときどう思ったか、その当日のことから、その後の生活のことまで色々話しました。わたしにとっては震災後しばらくの生活は異常な雰囲気で自分もかなり参っていたので、なかなか話すのもしんどかったです。それで、ここで感じたのは、個人的な体験を誰かに伝えるのはとても難しいということです。もちろん相手が子どもだということもあるんだけど。例えば大人同士でも震災のことを話すことはもちろん今でもあるんだけど、大人はどんな状況であれ「その時を体験している」から、ある程度はその時の空気感とか、言わずもがな通ずるところがあるんだと気付きました。息子はまったく記憶がないので、いくら話して聞かせても、それはどこか夢の話というか、現実だとは理解していても、あたかも本の中の話を聞いてるような感じに受け取っているようです。自分も振り返ってみれば、小学生の授業の一環で、祖父母に戦争体験を聞いて作文を書くという課題がありました。そのとき聞いた話は覚えているけれど、どこか小説の話のようで現実感がなく、変な違和感を感じながら作文を書いた記憶があります。たぶん息子もそんな感じなんだと思います。これは震災でもっと甚大な影響を受けた人たちの子どもたちだとらまた違うんだろうなとも思いますし、息子も成長して成熟すればより理解できるとは思います。とにもかくにも、個人的な体験、その時の空気感、雰囲気、感情、そういったものを、まったく共通のバックグラウンドがない人に伝えるのは本当に難しいと気がつきました。だけど、これは1人の親として、それを伝えていくことも使命のような気がするので、この問題は引き続き考えていきたいです。

 

一年のうち一日、それが今のわたしの限界

震災直後、生まれて初めて、自分の稼いだお金から寄付をしました。そして今日はあれ以来2度目の寄付をしました。寄付というか、宮城県義援金を送りました。震災についてとか、復興について出来ることっていうのは人それぞれ違うと思うんですけど、わたしは震災後にデモに参加したり、震災をテーマにした作品を作ったりしました。自分なりに関わって来たつもりではありましたが、今思えば自分の気持ちを整理するためにやっていた部分も大きいと思います。事実、それはやってよかったと思っています。でも実際に誰かの役に立ったかというと、それはそうじゃなかった。呼びかけたり啓蒙するのも大切な行為だともちろん思うけど、それを出来る人、やれる立場の人っていうのがいて、わたしはそれじゃないなと思いました。自分ができる一番シンプルなことは何かと考えて、義援金を送ることにしました。送った金額は、震災直後は確かわたしの当時の給料の3日分。それは震災の影響で仕事が3日休みになったからという理由。今回は今のわたしの給料の1日分。わたしにはわたしの生活があって目の前の問題があって、ずっとずっと震災のことを考えることはできない。もちろんそれができたら素晴らしいけど、それをやり始めたら世界中のあらゆることに心を砕かなければ辻褄が合わないような気がしてしまう。それで、考えた。今のわたしが震災のことを思い、震災について向き合えるのは一年のうちで何日あるか。正直な気持ち、この一日だけだと思いました。だから1日分の給料の値段にしました。だけど、何もしないよりはいい。去年までは生活が苦しくてとてもじゃないけれど義援金なんて送ることはできなかった。自分たち家族が暮らしていくのがやっとだった。今年は今の仕事も落ち着いて、少しばかり余裕もできてきた。だから義援金を送ることができた。来年はどうなるか分からないけれど、とにかく、そういう気持ちで義援金を送りました。なにか言葉を発することよりも、行動で示した方がいい、というのがわたしの理念です。

 

恐れを忘れることで生きている

人間はいつか死ぬけれど、死ぬことを忘れているから今平穏に生きていられるんだと思います。それと同じように、震災のことを毎日毎日心に留めて、もしかしたら明日はこの場所に同じことが起こるかもしれないと常に考えていたら、わたしは平穏に暮らすことはできないと思います。だから、明日からは忘れるかもしれません。だけど、それは、永久に思い出さないことではないし、時には思いをはせるし、対策をしないという意味ではありません。わたしは静岡県で生まれ育ちました。静岡県では近いうちに必ず東海地震が来る、富士山が噴火すると言われて久しく、幼少から地震の恐怖やそれに備える事の大切さを教わって育ちました。実際に静岡県はとても地震が多く、東日本大震災より前にも震度3程度の地震は頻繁にありました。その度に、揺れを感じる中、この揺れがこのまま大きくなってもっと揺れたら…という恐怖を感じていたのをよく覚えています。だから、震災に備えることの大切さは理解しています。きちんと備えること、東日本大震災を思い出すこと。そして、自分にできることはその時々で変わるので、それをやっていきたいなと思いました。

 

おわり。

祈りの言葉はわたしは言いません。