みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

曲名と歌詞の関係について、ハイコンテクストなことばっかりやってる疑惑に悩む

わたしのこだわりポイントのひとつに、曲名をつけるとき、歌詞に出てくる言葉を使わない、というのがある。これは結構わたしとしてはこだわりがあって、どうしても歌詞の中の言葉は使いたくない。なんでかっていうと、曲名という凄く力強い影響力のある要素を、歌詞の引用で終わらせるのが勿体無いと思うからだ。ある意味で、歌詞の延長線上で書くように、あるいは、まったく遠くの言葉を選べば、曲を解釈する要素をもうひとつ増やせる。曲名という曲のイメージを支配しうる要素をうまく使えれば、連想ゲームのように、曲に新たなイメージを付加できると思うからだ。

 

だけど、これっていうのは、言葉(曲名)の意味を広がりを持って解釈できる受取手に届かなければ意味もないのかなとも思う。すごく分かりやすく言えば、「白い鳩」って曲があったとてだよ、ああ鳥ですね、鳩かわいいね、鳥の歌なのかなー、で終わったら意味ない訳ですね。ああ、鳩だから平和の象徴だなぁ、歌詞とは関係なくても何か平和についての曲なのかなぁ、とか。そこで初めて曲名が効いてくる訳じゃないですか。となると、鳩が平和の象徴であるというのは、非常に分かりやすい例だけど、もっと狭いコミュニティや文脈でしか広がりを持ち得ない言葉の場合はどうなんだろう。などと頭を悩ませてしまうのであります。

 

基本的に、歌詞を書くときに何を考えてるかっていうと、わたしは映画みたいに歌詞を書きたいと思ってるわけね。映画ってさ、いろんなシーンが出てくるでしょ。そして、関係ないようなシーンがたくさんあっても、映画全体でその意味を成してるわけじゃないですか。そして、画面に映るものすべてに意味があるわけで。言葉を並べて説明していくよりは、要素を羅列して意味を生み出したいなどと考えているのであります。

 

それで、こういうことをしてると、だんだん疑心暗鬼になってくる訳です。わたしがやりたいことは割とはっきりしてるんだけど、しかしながら、その意図を汲み取って解釈してくれる人っていうのはすごく少ないんじゃないかと思うわけね。つまりさ、さっきの鳩が平和の象徴みたいに分かりやすいやつならいいんだけど、そうでないものは個人的な経験や知識に左右されすぎるんじゃないかと思うわけ。表現したいものや表現したい感情が先にあって、それが伝わるように言葉を選んで書いていく訳だけど、感情には形がなくて、形がないものを何かに置き換えている訳だよね。置き換えているのが言葉そのものでないことも多くて、しかも置き換える作業は自分のバックグラウンドに依るところが大きい訳ですね。だんだん話が難しくなってきました。

 

アートをやっていた頃は、カッコつけて難解にしてるものが凄く嫌いだったんですけど、だんだん自分の作るものもそういうものに見えなくもないことになってきて苦悩しております。自分の蓄積してきたものから引用しても、伝わらなかったら結果的にはカッコつけて難解にしてるだけに見えるのかもしれない。だけど、見えないものほど見たくなるし、隠れてるものほどそそられるように、そういうものほど作り出すことの力を感じさせられると思う自分もいるのでした。

 

音楽はまだ本気でやり始めて日が浅いし、まぁ技術的にもまだまだというかだいぶお粗末なんですけど、作ることに関しては結構譲れないことが多くて、譲れないというかやりたいことが割とはっきりしていて、そして作るのがなにより楽しい。常々言っているけど、究極的には曲を作るだけで歌ったり弾いたりするのは自分じゃなくてもいいかもしれないと思っている。自分が上手くないのも知ってるし、かといって超テクに憧れるわけでもなく、作りたいものに必要になったときに必要に迫られて会得していくスタイルなのでなかなか上手くなりません。しかしながら、今のところ、自分の曲の解釈を共有できるようなボーカルの方に出会ったことがないので、とりあえずは自分が頑張って歌います。がんばります。歌練習中。

 

そんなかんじ。

でもなんだかんだいってライブの時はめちゃくちゃ気持ちいいし楽しい。出来ることならフロアの全員をゆらゆら揺さぶりたいです。なので練習します。押忍。

 

 

おわり。