みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

何を作っていても、いつも身体を持つことにたどり着く

考えれば考えるほど、わたしの興味は「身体」にたどり着く。美しくなりたいとかそういうことでなくてね。身体があること、身体を持っているということについて考えている。

 

初めは女性性についてよく考えていたんだけど、それは男性性に対する劣等感やジレンマがあったからだと思う。これは限りなく具体的な意味でのジレンマね。例えば、社会に出たら男性と女性の役割ははっきり分かられていて、なかなかその壁を飛び越えられない。自分の意識だけでは変えられないものに初めて出会ってから、羨んでいるのかもしれない。まぁ簡単に言えば、わたしも男性みたいにバリバリ働きたかったし、バリバリ働いて認められたかった。給料だってたくさん貰いたかった。でもそれはかなり難しい。能力以外のたくさんの尺度があることを知らなかったんだよね。

 

そこからちょっとフェミニズムに行ったんだけど、フェミニズムは厄介すぎてお手上げだった。よくある話だけど、女性って言っても、定義できないんだよ。よく女同士はすぐいがみ合うなんて言いますけど、そもそも女性っていうのは男性でないものであって、それ自体は恐ろしいほどの多様性も持っているのだから、みんなで同じ考えにたどり着くのは無理なのよね。と思いました。でもこれは永遠に分かり合えないという意味ではなく、お互いを尊重し合うということの意味を学んだよね。なかなかこのへん難しいけど。いろんな生き方があっていいんじゃない、ってね。ざっくり言うと。

 

それでね、最近は、もう女性性というくくりは捨てて、自分と男性の違いについて考えているんだけど、どうしてもそこに身体が出てくるんだよね。身体があること、身体性を意識すること。ある意味でわたしは身体に支配されていて、完全にコントロールはできないものとして身体を持たされている訳だよね。それで、この身体といつもくっついて生きていなきゃいけない。社会性を持った人間として生きていくには、ある程度きれいにしておかないといけないし、仕事ができるように身体を整えておかないといけない。そして、たまにどうしようもない不可抗力によって身体が動かなくなったりとか、あっちが痛いとかこっちが痛いとかどーのこーのと支配されている。コントロールしてるようで、身体に支配されてる部分も大きいんじゃないのかなって思う。それは痛いとか重いとか軽いとか見た目とかじゃなくて、実は思考にも影響するんじゃないかと感じていて、まぁ平たく言えばこの時期ホルモンバランス乱れるよね!ってことだよね。思考と身体のバランスが取れているときが「平常時」だとすると、わたしが平常でいられる期間って実はそんなにないのかなと思うんだよね。平常だと思っても、実は身体のリズムに少なからず影響されているんだよね。そのことを最近はすごく感じる。単純に歳をとったからかな(笑) そういう意味でも、平常でいられる期間が多い男性という存在はうらやましいんだよな。常に身体を意識して、今こうやって考えているのは身体のせいかもしれない、なんていちいち思わなくていいんだもんね。わたしが考えすぎなのかもしれないけど。

 

それで、身体に支配されることの最たるものはやっぱり妊娠で、これほど身体に支配されることはないわけよ。っていうか、これほんとにわたしのものなの、っていう。っていうか、違う人間が腹にいるんだから自分のものじゃないんだけどさ(笑) こういう体験っていうのは、いくら重りをつけて歩いても共有はできないわけよね。女性同士でもそうなんだし、当たり前だけども。

 

そういうことなんかを考えていて、いつまでもわたしは身体に支配されながら生きていくんだろうなぁと思っております。だからたまに、身体のないものになりたいなぁと思うんだろうね。幽霊じゃないけど、身体から解放されてみたいよね。

 

そんなかんじ。