みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

仕事が忙しくて変なことを考えているのだと思う

だいぶ仕事が忙しくなってきて、くしゃくしゃっとしたものが胸に溜まってきている。年がら年中、忙しく働いてる訳ではないから、やるときはやらなきゃならんのだが。

 

とにかくよく疲れる。物理的な意味で、重いものを運んだり、よく歩いたりするので、身体が疲れる。身体が疲れているときや身体が痛いときほど身体性を意識する時はないなと思う。

たまに、身体がどこかにいっちゃって、概念みたいなものになれたらいいなと思ったりするんだけど、完全に疲れてますね。疲れてるときは思考が極端になりがち。なりがち。

 

最近の思考のテーマは、恩を仇で返す系の人との関係性なんだけど、ちょっとヒント見えてきたかも。アンパンマンみたいに、自分を削ってまで誰かに何かを与えなくてもいいんだよ、っていうのと、見て見ぬ振りすることの罪悪感はだいたい気のせいだよ、っていうのを最近はちょっと言い聞かせている。なんでも受け止められる人間になれたらいいけど、表面上はそうなれても、結局自分が苦しくなるなら意味ないし。あとね、でもね、本当にわたしを大事にしてくれる人には惜しみなく与えたい。与えたいなんていうとおこがましいけれども。わたしを大切にしてくれる人を大切にしたいなって思いました。ください、くださいで、なにも返してくれない人とはイーブンな関係にはなれないから、いつかは傷つけられて終わるのかなと思った。冷たいのかもしれないけど、わたしは女神様にはなれないしね。

 

女神様といえば、母であっても、惜しみなく与える女神ではないと分かっているし、むしろそんな母にはなれないと感じているのに、なぜか自分の母親には完璧な母親であってほしいと願う矛盾とはこれいかに。根掘り葉掘り考えていくと、結局は幼少期から思春期あたりの体験にたどり着く訳だけど、この前初めてその話を家族以外の人にしたら、未だにその話をしていると泣いてしまうことに自分でびっくりした。なんか別に大したことじゃないのにね。客観的に見ればまぁそこらじゅうにありそうなことなのに、自分が思うよりわたしの深いところにあるらしい。過去の傷はどうやったら癒えるんだろう。過去にもらえなかった愛情は、もうどうやっても埋まらないのだろうか。与えられた愛情と、欲しかった愛情が違った場合は、どうすればいいんだろう。誰も悪くないし誰も責められないのに、ただただ、貰えなかったものをずっと探してゾンビしてるしかないのかなぁ。もんやり。

あー、疲れてる。とても疲れてるから、愛情について考えているのだと思う。

 

それでも少しずつは良くなっていると思う。今またいろいろやり直してる。わたしの20代はぽっかり穴が空いたみたいになってるんだけど、だから今の気持ち年齢は23歳くらいで(笑)なんかこう、その頃の感じでいろいろ探してる。

 

もう一回、いろんなものを信じたいなぁ。