みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

歌詞の解釈と、ゆっくり思考する時間のこと

この前、仕事である謝恩会に行った。そしたら、そこで思い出を振り返る的なスライドショーを上映してたんだけど、そのBGMが宇多田ヒカルの「花束を君に」だったのよね。

 

わたしこの曲すごくいい曲だと思う。

 

普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した
花束を君に贈ろう
愛おしい人 愛おしい人
どんな言葉並べても
真実にはならないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな
花束を君に贈ろう
言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に
両手でも抱えきれない
眩い風景の数々をありがとう
世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に
花束を君に贈ろう
愛おしい人 愛おしい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に

 

もう歌詞全部を引用しちゃうぞ。素晴らしいから。

これってさ、たぶん、亡くなった母への思いを歌った曲だよね。「真夏の通り雨」も同じだと思うけど。最初のワンフレーズでああもうこれはそうなんだろうなって分かる。

 

それでね、この曲を謝恩会の思い出スライドショーのBGMに使うっていうのは、なかなか違和感を感じてしまったんだよね。卒業とか母への愛とか感謝とか、共通する部分もあるしわからなくもないけど。花束を送ろう、ってところしか聞いてないんじゃないのかなぁなんて思ったりして。

 

そして考えたのね。ありがちだけど、みんな考えるための時間がないのかなぁ。って。いわゆる流行りの歌をディスるわけではないけど、分かりやすくて耳触りがよく、感情移入しやすいのが好まれるのは、やっぱり作品を紐解く時間がないんじゃないかなぁと思ったわけです。

 

音楽に限らず、映画も、本も、分かりにくいものってあるじゃないですか。または、一見して分かりやすいけど、よく見ると意味が違うものとか。音楽も映画も本も、そこにあるものは必然であって、必ず意味があると思うのです。だから、なぜそこにそれがあるのか、よく見るとまた楽しい。特にわたしは言葉に興味があるから言葉をよく見ることが多い。なぜその言葉なんだろうって。

 

それでね、わたしは基本引きこもりだから、ひとりぼっちで家にいるし、布団に入るのも異様に早いし、だけど、静かに目を閉じながら考えてると、ああそういう意味だったのか!とひらめいたりすることもあって、そういう時間が大事だと思うのよね。あとこのブログも思考にはとても役に立っていて、なにかを発見したり、感じたことを書きたいなと思った時、できるだけ言葉で説明しようと試みている。書くときは、なんとなく万能な言葉で片付けないようにしようというのを心がけていて、例えば「面白い」「感動した」「好き」「嫌い」「ムカつく」とかね、そういう一言で片付けないようにしようと思って書いている。面白いなら、どこがどう面白かったのか、好きな理由はなにか、マイナスな感情の場合でもなぜそれが自分に生まれてきたのかを徹底的に思考する、そしてできるだけ言葉で書く。中傷ではなくて表現するってことね。

 

話はズレたけど、こうやってブログのために調べたり考えたりする時間っていうのはとても貴重で、いろんなことを気づかせてくれるのよね。そして、なかなかゆっくり考える時間を持つのは難しいね。世の中には安易な快楽が溢れているよー。

 

おわり。

 

花束を君に

花束を君に