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みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

厨二病が治らないんですけども

ものを作るというのは基本的には楽しいのだけど、そこに「評価」とか「承認」とか、あるいは自分自身の「期待」なんかが絡んでくると、かなりキツイ作業になる。

そんでもって、若い人というのは根拠のない自信とか、なんか将来きっとどうにかなるんじゃないかな、みたいな気持ちがあると思うんだけど、それを夢というのかなぁ。何でもないから、なんでもできると信じることができて、未熟だから、何でもできるようになると信じることができる。あと、何事も最初に「できる」ようになったことは楽しい。ほら、逆上がりとかね。

しかしながら歳をとることというのは残酷なことで、いかに自分が凡人であるかを知る道のりなんじゃないかと思うくらい歳をとるのはキツイ。とくに若いころが自意識過剰であればあるほど、期待していたものを手に入れられない苦しみっていうか、なんというか。自分は何者でもないと知ることの怖さったらないわけだ。そういうわけで、人は諦めていく。諦めて、手身近な「しあわせ」っぽいものを探し始める。のだと思う。ここは精一杯強がっていることを認めるけど、自分の作ったものや、自分ひとりだけの何かで世の中と戦うことはとても怖い、だから諦める方が百万倍ラクチンなのだよ。だから、なんか知らんけどいい感じの言い訳とかいうわけだよね。もうこんな歳だし、とか、そろそろ身を固めて、とかさ。そういう感じ。

かくいう自分は、22歳で結婚したんだけど、その時はもうこれで終わったと思った。正直なところね。夢とか追いかけるのは終わりだと思った。これからは、なんかこう、よくある、サザエさんみたいな、みさえみたいな、そういう人生にチェンジするのかと思った。

でもね、人間そんなに変わんないね。結局わたしはまだわたしを諦めてなくて、諦められずにこんなことをしておるという次第。誰だって認められたいでしょ。誰だって愛されたいでしょ。その手段と目的が何であるかが違うだけじゃん、と思うわけ。わたしは、できれば、わたしが作ったものを、愛して欲しい、というわけ。それが最大の承認であろうと思う。

何かを作ることは基本的には楽しいんだけど、それをどこでどうしたいかの範囲によって、抱く感情は変わるよね。わたしは欲張りなので、できるだけ遠くまで風船を飛ばしたいとまだ思っていて、まぁどこでもいいんだけど、具体的に想像するとしたら、わたしが顔を知らない人の心がざわざわするくらいになってくれたら嬉しいなと想像している。だけど、そういう目標を設定するということは、つまり自分のハードルを勝手にあげて勝手に苦しんだり恐れたりしているっていうことでもあると思うのよね。別に現段階では誰にも求められてないわけで、それでもどうしても湧いてくるものがあって、それを届けたいみたいな、うさんくさいこと言っちゃうけど、つまりわたしは誰かを救うことで救われたいし愛されたいし認められたい、みたいな。そういう厨二な病気をまだ引きずってるわけだよ。

こういう、ここにはいない誰かを想像して、その人に愛されたいと願うのは、つまり近くにいる人とか自分自身を自分が愛していないという裏返しかもしれないなと最近思うけどね。しかしそれはまた別の話。

こういう話は折に触れてなんども書いてる気がするんだけど、とにかくわたしはまだ意地を張ってますよと、そういいたいわけだよ。甘美な思い出よりも、今が最高に素晴らしくて楽しいよと言いたい。そういうことです。

 

おわり。