みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

自分が玉ねぎみたいなものだったら

何かを着て着飾るよりも、着ているものを脱いでいくほうが難しいし、何かを買って手に入れるよりも、持っているものを手放すほうが難しい。

 

この前、誰かのツイートが流れてきて、コントロール可能なものと、コントロール不可能なものを見極めて、コントロール不可能なもののことは手放すこと、自分にコントロールできるものだけに全力を尽くすことがよいと書いてあった。振り向いてくれなさそうな人を想うより、自分を磨けよ、みたいなことだけども。わたしはコントロールしたい願望が強いので、それはよくないと思いつつなかなか手放すのが難しい。何でもかんでもコントロールできたらそれは神じゃん、みたいな話になっちゃいますけども。なんかさ、大切なものとか、思い入れが強いものほど、自分の期待通りになってほしいじゃん。それってつまりコントロールしたがってるってことだよなぁと思うのだよね。

 

自分から少し遠い人なら、なんでも許せるし、なんでも受け入れられるし、なんならいい感じに励ましたりできるんだけど、近い人に同じことをできるかというとこれが不思議とそうでもなかったりすんだよなぁ。許されたいのに、許せない、みたいな。でも全部許すなんてそんな器はまだないのよ、という。

 

最近、猛烈にものを買い替えまくっていて、家の中が総入れ替えぐらいの勢いで捨てては買ってるんだけど、たまに買うほうに比重がいっちゃうときがあって、そういうときはだいたい満たされない気分なんだよね。心の底では。ものを買うっていうのは不思議なもので、なんとなく一瞬は高揚感があるよね。そんですぐ消える。だから次はもっといいものを買いたくなる。そんで麻痺る。いるのかいらないのか分からないけど、とにかく買って手に入れることが目的になってくるんだよね。たまにやばいときあるから自戒だよ、自戒。

 

逆にものを捨てるっていうのは難しくて、何にでも微妙にこびりつく「思い出」みたいなものがあって、いちいちそれを見ないといけないのが大変だよ。そして、それを捨てるっていう罪悪感にいちいち打ち勝たないといけないのがしんどい。捨てるより、山積みにしておくほうが遥かに楽なんだよね。だんだん部屋は狭くなるわけだけど。部屋が狭いとなにもできないし、なぜか部屋の中身と思考の中身は似てくるから不思議だ。

 

パリパリパリパリ、玉ねぎみたいに、中身がないかもしれないものを剥いていくのは、怖いねぇ。ほんとに。怖いんだよねぇ。

 

 

おわーり。