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みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

わたしが楽になるために、思い出話をさせてほしい

わたしが14〜16歳ごろ、わたしの周りでは「リストカットブーム」が起きていて(この話をしても誰にも同意を得られないが、インターネットにもリアルの趣味友達にもなぜか病んでる人が多かったのだよ)、なぜか周りに病んでる人が多かった。ファッションとしての「病み」が確立される前の話だから、ガチな人ばかり。わたしは若かったし愚かだったから、そういう人を救えると思っていて、いろんなことを調べたりしていた。あとはヴィジュアル系のカリスマがいきなり自殺したりね。そんなわけでわたしは心を病むことに関してどことなく無関心ではいられない人生だった。

 

特に、わたしの人生において、ショッキングだったできごとについて書きたい。たぶんあまりいい話ではない。けど、今まで誰にもちゃんと話していないことで、なぜこれを書こうと思ったのかというと、リアルの友だちに話すには荷が重すぎるし、あるバンド名が出てくるからそのせいでバンドの音楽を楽しめなくなるのも悪いし。あとはもう肩の荷を降ろそうかなという気になったから。

 

 

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その友人と知り合ったのは、わたしが専門学生のときで、とにかく時間だけはたっぷりあってひたすらライブやカラオケに行っていた。まぁ今では憚られるけどその頃はまだチケット転売がそんなに厳しく取り締まられてなくて、オークションや掲示板で定価割れしたライブチケットを入手しては片っ端からライブに行っていた。そんなとき、あるバンドのラジオ公開収録とミニライブがあった。もちろん暇なわたしは出かけて行って楽しく拝見した。そしてその頃全盛期だったmixiでレポを書き、誰かのレポを探した。そこで見つけたのがその友人のレポで、それからコメントを通して仲良くなって行った。

 

まぁよくある話で、ネットで知り合った訳だけど、同じバンドが好きってことはライブに行けば会うわけで、さらに暇人のわたしはライブでも公開収録でも暇があれば行くからよくその友人に会った。それから、だんだんと2人で出かけるようになった。

 

出かけるというか、ひたすら渋谷のカフェに行ってはコーヒー1杯で3時間くらいベラベラベラベラよく喋った。その友人はわたしより年上で、いろいろなバンドを知っていたから、たくさんバンドを教えてもらった。オススメの曲をMDに焼いてもらったりした。そうそう、MDといえば、友人はそのバンドの昔からのファンでインディーズ時代のレアなデモテープを持っていて、それもMDにダビングしてくれた。カセットのデモテープだよ、懐かしい。友人は「あと何年かしたら、復刻版とか行ってCDになりそうだよね。プレミアついてるうちに売っちゃおうかな」なんて笑ってたが、それは数年後に本当のことになった。

 

友人はとても頭が良くて、とてもいい家の生まれだったが、心を病んでいた。それでよく家族と喧嘩をしていたらしい。厳格な父親は、自分の子どもが心の病であることを認められなかったらしい。あまり食べていないようで、いつもコーヒーばかり飲んでいた。か細い手首に、大きい腕時計をしていたのをなぜかよく思い出す。あとたまにかける眼鏡が似合っていて好きだった。

 

あるとき友人は、好きなバンドの事務所に転職した。しかも好きなバンドのマネージャーになった。その時はわたしも興奮した。しかしその仕事は長くは続かず、不規則な勤務についていけないと退職してしまった。

 

その後、わたしも社会人になり、なかなか時間ができず、友人ともたまに会う程度となっていた。相変わらずmixiは流行していて、たわいもない日記を書いていたが、友人はマメにコメントをくれた。

 

あるとき、友人がいつもとは違う雰囲気の日記を投稿していた。長い長い懺悔のような日記だった。セックスという手段でしか承認を得られず、恋人と喧嘩した雨の夜、恋人の友人の家に行き、当然のようにセックスをした、というようなことが書いてあった。

 

そして友人は自殺した。らしい。

 

正確には、自殺したのだと思われるような内容の書き込みが友人の友人のmixiにあった。わたしは友人の名前と携帯のメールアドレスと電話番号とmixiのアカウントしか知らない。住所も、家族の連絡先も、他の友人の連絡先も、何もかも知らない。もちろん葬儀に参列することもできない。友人が死んで、そういう当たり前のことを初めて思い知った。

 

友人は病んでいた。でもカフェで話しているときは楽しかった。病んでいるからと言って、いつも不幸を自慢したりしない。辛い辛いとは言わない。わたしが知ってる友人は、音楽に詳しくて、手首の綺麗な、そういう人だった。

 

友人かなぜ死んだのかは分からない。懺悔のような日記を書いていたけど、それが直接的な理由ではないような気がする。でもわたしが考えてもなにも分からない。ただわたしは、それほど辛かったのだとしたら、人生に幕を降ろすことで救われたのだと、そう解釈するほかなかった。

 

わたしにとってこの出来事は二重にショッキングであった。まず、身近な人の突然の自殺というダメージ。そして、ネットを通して知り合った人との交流の限界。何回会っていて、何時間話しをしていても、どちらかが携帯の電源を切ったら、もうわたし達は会うことはできないのだ。そんな当たり前のことにわたしは絶望した。

 

バンドのライブにはリアルの友だちとよく行っていて、自殺した友人と顔を合わせたことのある友だちもいたが、その友だちにはこのことは話せなかった。誰にも話せなかった。今までずっと。

バンドのライブには行けなくなった。そのバンドのCDもMDも聞かなくなって、できるだけそのバンドの情報が目に入らないようにした。

 

友人は病んでいた。でも笑っていた。そして死んだ。本当に病んでいる人は不幸自慢をしないし、死ぬときは突然死ぬ。

 

わたしはそれ以来、自分がどんなに精神的に追い詰められていても、どうしても「わたしは病んでいます」と言えなかった。あの友人に比べたら大したことないと思って言えなかった。友人のことを考えると、軽々しく病みを振りまく人々が疎ましかったし、自分も軽々しく病んでると言えなかった。死にたいという人ほど、死んだりはしない。 

 

 

これを書きながら、友人顔を思い浮かべている。悲しいのか分からないけど、書きながら涙が出てきた。友人は天国で楽しくやっているだろうか。デモテープが復刻されたのは友人が死んだ後だったよと伝えてあげたい。天国から地上のことは見えるのだろうか。

 

死者に対して、生きている人は勝手な解釈を用いがちで、それをわたしはズルいと思うけど、友人はたぶんわたしといて楽しかっただろうし、年末だって2日連続で一緒にライブを見に行ったし、適当に呼んでもきてくれたし、わたしも呼ばれたら行ったし、いろんな場所でお茶しばいたし、それでいいってことにしたい。もう時効でもいいよね。もう楽になってもいいよね。

 

 

そういえばもうすぐわたしの誕生日でした。そのバンドには、誕生日の歌があって、友人もわたしも自分の誕生日にはmixiの日記にそのことを書いていた。今年の誕生日はその歌を聞けそうな気がしてきた。

 

 

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これで終わり。なにもできなくてごめんね。これがわたしの懺悔かもしれない。