みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

「イーハトーヴォ」と今読んでほしい「ポラーノの広場」

イーハトーヴォのすきとおった風

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あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。

macを使ってる人でこれを見たことある人、多いんじゃないかな。Font Bookでサンプルになってる文章です。ずっと気になってた「イーハトーヴォ」ってなんだろう?と調べてみたらこれでした。

 

イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である(表記についてはいくつかの変遷を経ている。後述)。岩手県をモチーフとしたとされており(詳細は後述)、言葉として「『岩手』(歴史的仮名遣で「いはて」)をもじった」という見解が定説となっているが、賢治自身は語源について具体的な説明を残しておらず、異説もある[1]。

ウィキペディア先生からの引用。

 

ポラーノの広場

さらに、フォントブックの文章は、宮沢賢治の「ポラーノの広場」という作品の一節だそうです。ここで全文読めるよ。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1935_19925.html宮沢賢治 ポラーノの広場

 

ポラーノの広場』(ポラーノのひろば)は、宮沢賢治の短編小説(童話)。賢治が亡くなった翌年の1934年(昭和9年)に発表された作品である。 賢治が自筆メモで「少年小説」や「長編」としてタイトルを挙げていた4つの作品(他の3つは「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「グスコーブドリの伝記」)の1つである。

ウィキペディア先生からの引用。

 

 

全文読んでみたけど、これは素晴らしい。というか、今、みんなに読んでほしいと思った。

あらすじ。

役所勤めのキュースト(主人公)は、脱走したヤギを探していたら農夫の子ファゼーロに出会った。ファゼーロは伝説の広場「ポラーノの広場」を探しているらしい。夜になるとチェロや歌声が聞こえるのて仲間と夜な夜な探しているという。興味を持ったキューストはヤギを見つけてくれてお礼に地図を渡す約束をして、そこから一緒にポラーノ広場探しを始める。

 

ここからはネタバレだよー。できれば全文読んでほしいから、ぜひリンクから読んでくれ。

読んだ人は続きいこう!

 

 

 

物語の中身

まず前半はとても幻想的。つめくさの数を数えるシーンなんかはうっとりしてしまう。さすが宮沢賢治って感じだ。農夫として下働きをしている男の子と、役所勤めの人間が一緒に桃源郷を探すなんて、なんと幻想的か。冒険活劇って感じだね。

「おや、つめくさのあかりがついたよ。」ファゼーロが叫びました。
 なるほど向うの黒い草むらのなかに小さな円いぼんぼりのような白いつめくさの花があっちにもこっちにもならび、そこらはむっとした蜂蜜のかおりでいっぱいでした。
「あのあかりはねえ、そばでよく見るとまるで小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ。」
「そうかねえ、わたしはたった一つのあかしだと思っていた。」
「そら、ね、ごらん、そうだろう、それに番号がついてるんだよ。」
 わたしたちはしゃがんで花を見ました。なるほど一つ一つの花にはそう思えばそうというような小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。
「ミーロ、いくらだい。」
「一千二百五十六かな、いや一万七千五十八かなあ。」
「ぼくのは三千四百二十……六だよ。」

本当に幻想的でうっとりしちゃう。

だけど、せっかく見つけたポラーノ広場は、ディスパーゴという偉い人が選挙のためにやっていた宴会だったと分かる。山猫の野郎というのがディスパーゴね。

「いったい今夜はどういうんですか。」わたくしはやっとたずねました。
「いいや、山猫の野郎、来年の選挙の仕度なんですよ。ただで酒を呑ませるポラーノの広場とはうまく考えたなあ。」
「この春からかわるがわるこうやってみんなを集めて呑ませたんです。」

しかも、それからファゼーロは失踪してしまい、警察沙汰に。

「ではたずねるが、君はテーモ氏の農夫ファゼーロをどこへかくしたか。」
「農夫のファゼーロ?」わたくしは首をひねりました。
「農夫だ。十六歳以上は子どもでも農夫だ。」警部は面倒くさそうに云いました。
「君はファゼーロをどこかへかくしているだろう。」
「いいえ、わたくしは一昨夜競馬場の西で別れたきりです。」
うそを云うとそれも罪に問うぞ。」

ファゼーロのことを気にかけつつも役所勤めを続けるキュースト。しばらくしてセンダード市への出張を命じられる。半ば休暇のような出張を楽しんでいると、床屋でディスパーゴを見つける。

「わたくしがここへ人を避けて来ているのは全くちがった事情です。じつはあなたもご承知でしょうが、あの林の中でわたくしが社長になって木材乾溜の会社をたてたのです。ところがそれがこの頃の薬品の価格の変動でだんだん欠損になって、どうにもしかたなくなったのです。わたくしはいろいろやって見ましたがどうしてもいけなかったのです。もちろんあの事業にはわたくしの全財産もしてあります。すると重役会で、ある重役がそれをあのまま醸造じょうぞう所にしようということを発議しました。そこでわたくしどもも賛成して試験的にごくわずか造って見たのですが、それを税務署へ届け出なかったのです。ところがそれをだしにして、わたくしのある部下のものがわたくしを脅迫しました。あの晩はじつにむずヵしい場合でした。あすこに来ていたのはみんな株主でした。わざとあすこをえらんだのです。ところが株主の反感は非常だったのです。わたくしももうやけくそになって、ああいう風に酔っていたのです。そこへあなたが出て来たのですからなあ。」

すっかり没落したディスパーゴを見て気の毒になってそのまま帰る主人公。

しかし、帰ってみると失踪していたファゼーロがひょっこり戻っていた。そこから、本当の「ポラーノの広場」を作ろうと人々は立ち上がるのであった!(終)みたいな感じね。後半はとても感動的だからぜひ読んでほしいわ。

 

歌で勝負する、歌で世界を変える

ポラーノの広場」でディスパーゴを見つけたときの勝負(決闘)をするんだけど、最初は歌で戦うんだ。フローゼントリーという曲をリクエストするんだけど、この曲は古い曲でクラリネット奏者の人しかこの曲を知らない。でも、ラストでは主人公に「楽譜」が届く。みんなで歌えるように、と厚い紙に刷った楽譜。最初はクラリネット奏者しか知らなかったのに、最後には「みんなで歌う」ようになる。しかも誰が作ったのか見分けがつかないと結ばれている。それだけ仲間の思想が統一されているということなのかな。

抑圧された人々(庶民)が協力しあって新たな桃源郷を築こうとする、それには歌がキーワードになっている。なんかこれってすごく今の時代とリンクするよね。不思議だ。歌と言ってもこれは文学だからもちろんメロディはわからないわけで、歌というか文字で世界が変わっていくんだね。

 

ディスパーゴは悪者か?

ディスパーゴは没落したことを自白するけど、その後出てくる人の話ではディスパーゴは大嘘つきだということになっている。でも最終的にはどっちの言い分が本当かは明かされない。これはかなり暗示的だよね。疑い用のない普遍的な「真実」みたいなものはどこにも存在しないのだ。自分がどこに立ってるかよく考えないといけないね。

 

主人公は新しい「ポラーノ広場」に参加しない

「いや、わたくしはまだまだ勉強しなければならない。この野原へ来てしまっては、わたくしにはそれはいいことでない。いや、わたくしははいらないよ。はいれないよ。なぜなら、もうわたくしは何もかもできるという風にはなっていないんだ。わたくしはびんぼうな教師の子どもにうまれて、ずうっと本ばかり読んで育ってきたのだ。諸君のように雨にうたれ風に吹かれ育ってきていない。ぼくは考えはまったくきみらの考えだけれども、からだはそうはいかないんだ。けれどもぼくはぼくできっと仕事をするよ。ずうっと前からぼくは野原の富をいま三倍もできるようにすることを考えていたんだ。ぼくはそれをやって行く。

読んでてちょっとびっくりしたんだけど、キューストは新しいポラーノ広場に参加しないんだよね。誰にでも、役割があるってことだろうか。直接的に参加しなくても、それぞれに出来ることがあるよって意味なのかな。「けれどもぼくはぼくできっとできる仕事をするよ。」って良い言葉であるぞ。

 

乾杯は冷たい水で

最初の「ポラーノ広場」に行った時も「酒は飲まない」と言っていたけど、新しい「ポラーノ広場」の祝杯は「水」なのだ。そして、何度もコップを水ですすいで洗っている。そして冷たい「水」を飲む。

「もう一ぺん洗うんだぜ。前の酒の匂がついてるからな。」ファゼーロがまた水をつぎました。
「ファゼーロ、今夜一ばんコップを洗っているのかい。」
 醋酸をつくっていたさっきの年老った人が、云いました。みんなはまたどっと笑いました。
「こんどは呑むんだ。冷たいぞ。」ファゼーロはまたみんなにつぎました。コップはつめたく白くひかり風に烈しく波だちました。
「さあ呑むぞ。一二三。」みんなはぐっと呑みました。私も呑んで、がたっとふるえました。

これもう説明するまでもないけどね。いいシーンだなと思った。

 

なぜか「今」読むことに意味がある気がする

これを読んだのは本当にたまたまで、FontBookのことを調べていたらここへ辿り着いたんだけど、なんだかこの作品が今の時代にリンクして見えてしまって、いろいろ感慨深いね。あまり政治的なことはここには書きたくないけど、なんとなくわたしもそわそわしているよ。だからこの作品をみんなにも読んでほしいなと思いました。

それにしても宮沢賢治は天才だなー。

 

 

 

おわりだよ。