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みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法、という本を読みました

この本を読みました。

 

 

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

 

「私のことどう思ってるんだろう」「あのひと言で不快な思いをさせたかも?」と相手のささいな表情や言葉尻から相手の気持ちを予測して不安になる一方、「なんであの人は私にひどいの!」「いつも私ばっかり……」と、一人になってからも「言われたこと」「されたこと」を怒って引きずってしまう。
本書では他人のことを気にして「振り回されている」状態がなぜ起こるのか、「脳の仕組み」の観点から説明し、「暗示」によって解決していきます。
本書を読めば、心に静けさが戻り、「本当の自由」が手に入ります!

 

とにかくここのところ仕事が忙しいのと、ある企画のバンドがうまくいかず疲弊していました。それで気分転換にフラフラと入った本屋さんで購入。とりあえずタイトルだけ見て買った。

 

「あなたのせいじゃない」ことを書いてくれている

前半はよくある「振り回される人」のパターンがいくつか書いてあるのだけど、これが面白いくらい自分に当てはまっていて笑いました。

そしてその次には、どうしてそうなったかを説明しているのだけど、この説明が徹底的に「あにたのせいじゃない」「生まれながらの性質ゆえではない」ことを軸に書かれていて、とても救われます。とにかくこういう性格の人は、原因は自分にあって、それをなんとか変えないと…と思いがちなのかな。だけどこの本は、脳のネットワーク、緊張スイッチなどの言葉(解釈?)を使って、それはなんらかの外的理由でそうさせられているだけで、本来のあなたは違うのよってことを書いてくれています。また、他人の気持ちを気にしすぎ(感じすぎ)て疲れてしまう人のことを「脳の感度が良い」と言っていたら、ポジティブに書いてくれているので、目から鱗でした。

 

他人との距離感を適度にするための自己暗示

正直、自己暗示っていうのはあまり信じていなかったんだけど、とにかく前半の「振り回される人のよくあるパターン」が完全に自分に当てはまっていたのと、これを読んだときはもう心が疲弊していてとにかく何かにすがりたかったし、素直にやってみた。心の中で唱えるだけなら疲れていてもできるし。

ただし、途中から登場する「心よ!」の問いかけまでは実践できず…さすがにこれは難しい。自分の本心?をあたかも別の生き物のように扱って会話するのだろうか? 感覚がよく分からなかった。

そんな訳で、しばらく実践してみた感想を。

 

脳内「会話シュミレーション」を辞められた

わたしはとにかく何もない時間に「会話シュミレーション」を無意識にしてしまう。あとは以前の会話を思い出して「会話シーンの振り返り」をしたり。次にあったときこの話題を話したらどうなるだろう…と、相手を想像し、自分の言いたいことを言い、どんな反応かを想像する。こんな風に言ったら誤解されるかな…とか、これはちょっと言い過ぎか?とか、無駄なシュミレーションを何回もする。もちろん実際はそんなシュミレーション通りに行くわけないんだけど。

あとは、以前の会話を反復して思い出して、あの発言は良くなかったな、とか、どうしてわたしはあのときああ言ってしまったのかな、とか、ひたすらに反省会をする。会話だけでなく、メールやラインのやりとりも定期的に読み直して、この文章で誤解を与えてないだろうか、この文章から相手がどんな感じを受けただろうか…と想像する。

で、、暗示を始めてから、これに費やす時間がとてつもなく長いことに気がついた。

何かしなくちゃいけない、何かやりたいことがある、だけど頭の中はこの脳内会話シュミレーション会議でいっぱい。しかもだいたい凹んで終わるからやる気が無くなる。そこで、メールを読み返したくなったり、会話を思い出したりしようとしたら、本著の暗示を使ってストップ! すると、最初はやっぱり落ち着かなくて、なにか大事なことを放り出している気持ちになったけど、徐々に1日の多くの時間を無駄なシュミレーションに使っていたことに気がつき、それよりも他の有意義なことをした方がいいなと思えるようになった。いくら考えても誰かの気持ちは分からないし、ましてや変えられない。

 

謎の怖気付きは、自分の取り越し苦労だったのかもと思った

わたしはとにかく大勢の集団でワラワラと何かをするのが苦手。イベントごとも苦手。あと、そういうイベントごとが大好きそうな人もなんか怖くてビビる。まぁ、リア充が怖いってことね(笑)

だけど大人になればそういうところに参加しなければならないことも出てくる訳で。ほら、仕事の関係とか、学校の関係の何かとか。特に今年はいろいろ事情があってそういったものに参加しなければならず、とにかくこれが憂鬱の種だった。

それで本著の暗示を使って、集団の中にいてもとにかくビビらずいつも通り好き勝手発言してみた。最初はこちらも、ついつい「あ、今ちょっと馴れ馴れしすぎたか?」とか「やばい話しすぎた…」「出しゃばりだと思われたか?」など瞬時に不安にかられたりしたけれど、実はわたしが思い切って喋った方が相手も話してくれて会話は弾むし、もちろん相手が嫌な顔をすることもなく、むしろ楽しくやれた。そしてなにより、自分の心のエネルギーが減らないことに気がついた。いつもこういうイベントごとのあとは本当に疲れて疲れて、もう絶対やりたくないと思うんだけど、今回はなんだか全然平気だった。

なぜか怖気付いたり、目立たないように必死になったり、そういうのはただの取り越し苦労とだったのかなと気がついた。別に自然にしていればいいんだな、と思った。その自然にしてるのがこれまでのわたしにとってはとてもとても難しかった訳だけどね。

 

傷つけられたこと、嫌だったことなど、マイナスなことを反復体験しない

優しくしたのに裏切られた、友だちだと思ってた人に悪口を言われた、きつく叱られた、などなど。嫌なことがあると、わたしはそれを何回も何回も思い出してしまう。そのときの状況。やりとり、会話。どうしてこうなったんだろう、わたしは優しくしたのに、わたしは頑張ったのに、こんなにしてあげたのに、どうして裏切られたんだろう。あの人はなんでそんなこと考えたんだろう。これを何回も何回も頭の中でする。だからずっと嫌な思い出に囚われたまま。嫌な思い出が消えないどころか、それに費やす時間は増えるし、思い出すことでさらに記憶が強化されていく。

これも本著を参考にだいぶ減らせたと思う。今になればとても無駄な行為だと思えるけど、それまではとにかく「わたしが悪かったんじゃないか。」「次は傷つけられないためにどこを治せばいいんだろう」って、ずっとずっと過去のいろいろな体験に囚われ続けていた。そうすると、自己嫌悪にもなるし、時にはやり場のない怒りみたいなものが込み上げてくるし、謎に泣いてしまったりと、とにかく過去に対して心のエネルギーをたくさん費やしていたのだと思う。だから疲れ果てていた。

過去を振り返って反省することは大事だけど、それは適度に。反省するところはしたら、現在のことを考えた方がいいなと思えるようになった。変えられない過去に自分の心のエネルギーを費やすのはやめた。

 

根っこは解決できなくても、心は軽くなれる

本著の暗示や考え方はとてもよく出来ていると思う。文中に出てくる、暗示で良くなったクライアントさんの例というのも結構極端でホントかな?と思うものもあるけど、それくらい良くなれると想像するための資料にはよいのかも。本当か嘘かは関係なくて、そういう風になれるかもというイメージのための資料だなと思った。

この本を手に取ろうという人には、何らかの「要因」があって、そのような性格や思考のクセがついてしまったのだと思う。この根っこの要因を見つけるのは難しい。たぶんみんな無意識に忘れているし、わたしもなぜこんな性格になったかと言われても分からない。(ちなみに今それは別件で解明を試みている。)だけど、根っこの要因は分からなくても、今の自分の思考のクセを自覚的に直すことはできるのかなと思った。そのために本著で出てくる自己暗示はとても有効だった。自己暗示と言っても、言葉を唱えてイメージするだけ。最初はバリバリ違和感あったけど、だんだん心が軽くなるのがわかってからは意識的に使うようになった。

根っこの解明はたぶんいつかは必要だけど、それにはとてつもない心のパワーがいるし、心が疲弊した状態ではそれは難しいと思う。まずは根っこ探しを置いておいて、とにかく今の自分の心を軽くしてあげることも大切なんじゃないかと思えた本でした。自己暗示とか、自分の心に問いかけるとか、わたしは疲れてなければこの本を買わなかったと思うけど(笑)本当に解決するためにはまずはある程度心のパワーを回復しなければならないと思う。そのために使えそうなところを利用するにはとてもよい本だと思いました。

 

同じようにしんどい思いをしている人がいたら、少しだまされたと思って読んでみてほしいな。

 

おわり。

 

何を作っていても、いつも身体を持つことにたどり着く

考えれば考えるほど、わたしの興味は「身体」にたどり着く。美しくなりたいとかそういうことでなくてね。身体があること、身体を持っているということについて考えている。

 

初めは女性性についてよく考えていたんだけど、それは男性性に対する劣等感やジレンマがあったからだと思う。これは限りなく具体的な意味でのジレンマね。例えば、社会に出たら男性と女性の役割ははっきり分かられていて、なかなかその壁を飛び越えられない。自分の意識だけでは変えられないものに初めて出会ってから、羨んでいるのかもしれない。まぁ簡単に言えば、わたしも男性みたいにバリバリ働きたかったし、バリバリ働いて認められたかった。給料だってたくさん貰いたかった。でもそれはかなり難しい。能力以外のたくさんの尺度があることを知らなかったんだよね。

 

そこからちょっとフェミニズムに行ったんだけど、フェミニズムは厄介すぎてお手上げだった。よくある話だけど、女性って言っても、定義できないんだよ。よく女同士はすぐいがみ合うなんて言いますけど、そもそも女性っていうのは男性でないものであって、それ自体は恐ろしいほどの多様性も持っているのだから、みんなで同じ考えにたどり着くのは無理なのよね。と思いました。でもこれは永遠に分かり合えないという意味ではなく、お互いを尊重し合うということの意味を学んだよね。なかなかこのへん難しいけど。いろんな生き方があっていいんじゃない、ってね。ざっくり言うと。

 

それでね、最近は、もう女性性というくくりは捨てて、自分と男性の違いについて考えているんだけど、どうしてもそこに身体が出てくるんだよね。身体があること、身体性を意識すること。ある意味でわたしは身体に支配されていて、完全にコントロールはできないものとして身体を持たされている訳だよね。それで、この身体といつもくっついて生きていなきゃいけない。社会性を持った人間として生きていくには、ある程度きれいにしておかないといけないし、仕事ができるように身体を整えておかないといけない。そして、たまにどうしようもない不可抗力によって身体が動かなくなったりとか、あっちが痛いとかこっちが痛いとかどーのこーのと支配されている。コントロールしてるようで、身体に支配されてる部分も大きいんじゃないのかなって思う。それは痛いとか重いとか軽いとか見た目とかじゃなくて、実は思考にも影響するんじゃないかと感じていて、まぁ平たく言えばこの時期ホルモンバランス乱れるよね!ってことだよね。思考と身体のバランスが取れているときが「平常時」だとすると、わたしが平常でいられる期間って実はそんなにないのかなと思うんだよね。平常だと思っても、実は身体のリズムに少なからず影響されているんだよね。そのことを最近はすごく感じる。単純に歳をとったからかな(笑) そういう意味でも、平常でいられる期間が多い男性という存在はうらやましいんだよな。常に身体を意識して、今こうやって考えているのは身体のせいかもしれない、なんていちいち思わなくていいんだもんね。わたしが考えすぎなのかもしれないけど。

 

それで、身体に支配されることの最たるものはやっぱり妊娠で、これほど身体に支配されることはないわけよ。っていうか、これほんとにわたしのものなの、っていう。っていうか、違う人間が腹にいるんだから自分のものじゃないんだけどさ(笑) こういう体験っていうのは、いくら重りをつけて歩いても共有はできないわけよね。女性同士でもそうなんだし、当たり前だけども。

 

そういうことなんかを考えていて、いつまでもわたしは身体に支配されながら生きていくんだろうなぁと思っております。だからたまに、身体のないものになりたいなぁと思うんだろうね。幽霊じゃないけど、身体から解放されてみたいよね。

 

そんなかんじ。

仕事が忙しくて変なことを考えているのだと思う

だいぶ仕事が忙しくなってきて、くしゃくしゃっとしたものが胸に溜まってきている。年がら年中、忙しく働いてる訳ではないから、やるときはやらなきゃならんのだが。

 

とにかくよく疲れる。物理的な意味で、重いものを運んだり、よく歩いたりするので、身体が疲れる。身体が疲れているときや身体が痛いときほど身体性を意識する時はないなと思う。

たまに、身体がどこかにいっちゃって、概念みたいなものになれたらいいなと思ったりするんだけど、完全に疲れてますね。疲れてるときは思考が極端になりがち。なりがち。

 

最近の思考のテーマは、恩を仇で返す系の人との関係性なんだけど、ちょっとヒント見えてきたかも。アンパンマンみたいに、自分を削ってまで誰かに何かを与えなくてもいいんだよ、っていうのと、見て見ぬ振りすることの罪悪感はだいたい気のせいだよ、っていうのを最近はちょっと言い聞かせている。なんでも受け止められる人間になれたらいいけど、表面上はそうなれても、結局自分が苦しくなるなら意味ないし。あとね、でもね、本当にわたしを大事にしてくれる人には惜しみなく与えたい。与えたいなんていうとおこがましいけれども。わたしを大切にしてくれる人を大切にしたいなって思いました。ください、くださいで、なにも返してくれない人とはイーブンな関係にはなれないから、いつかは傷つけられて終わるのかなと思った。冷たいのかもしれないけど、わたしは女神様にはなれないしね。

 

女神様といえば、母であっても、惜しみなく与える女神ではないと分かっているし、むしろそんな母にはなれないと感じているのに、なぜか自分の母親には完璧な母親であってほしいと願う矛盾とはこれいかに。根掘り葉掘り考えていくと、結局は幼少期から思春期あたりの体験にたどり着く訳だけど、この前初めてその話を家族以外の人にしたら、未だにその話をしていると泣いてしまうことに自分でびっくりした。なんか別に大したことじゃないのにね。客観的に見ればまぁそこらじゅうにありそうなことなのに、自分が思うよりわたしの深いところにあるらしい。過去の傷はどうやったら癒えるんだろう。過去にもらえなかった愛情は、もうどうやっても埋まらないのだろうか。与えられた愛情と、欲しかった愛情が違った場合は、どうすればいいんだろう。誰も悪くないし誰も責められないのに、ただただ、貰えなかったものをずっと探してゾンビしてるしかないのかなぁ。もんやり。

あー、疲れてる。とても疲れてるから、愛情について考えているのだと思う。

 

それでも少しずつは良くなっていると思う。今またいろいろやり直してる。わたしの20代はぽっかり穴が空いたみたいになってるんだけど、だから今の気持ち年齢は23歳くらいで(笑)なんかこう、その頃の感じでいろいろ探してる。

 

もう一回、いろんなものを信じたいなぁ。