みさちのにっきちょう

ハイパムフィクサーというバンドのベースの人がどーでもいいことを書いています。Twitter@misachi_bass

欲望についてばかり考えている

相も変わらず、欲望について考えているし、欲望について鈍感な人を見ると嫌になる。バカみたいな話だけど。

 

人間は欲望で生きていると思う。欲望の形は人それぞれだ。欲望をどのように飼い慣らすか、それは人それぞれだ。しかし、欲望について鈍感な人だけは嫌い。自分の欲望について知るということは、全てを受け入れて、責任を取るということだ。欲望を肯定して、それを実行するということは、全てにおいて責任を取るということだ。

 

しかしながら、欲望だけを好き勝手に走り回させて、それが己のものだと自覚しない人が多すぎる。お前はお前が好きなんだろう。それは結構。しかし、その行動は責任を取れるの? 欲望について考えた事があるの? 鈍感なやつばかり。

 

わたしは欲望について考えている人が好きだ。欲望を肯定し、すべてに責任を取るのならば、欲望に従うことも良いと思う。欲望に従うこと。それはどんな気分なのだろうか。あらゆるものを無視して、己の欲望という本能に従うこと。おそらく、破滅の香りがする、ゆえに、甘美なのではなかろうか。わたしはそこまで手を伸ばせない。

 

無意識の欲望ほど醜いものはない。無意識の欲望に従うことは、野蛮で、非常に愚かだと思う。欲望は自覚することで初めてステージに立てる。欲望を認め、己を省みて、次の行動を決める、その過程がなければ欲望はただ野蛮なものでしかありえない。

 

堕ちるのも結構、しかし、自覚的に堕ちるのか、気づいたら落ちているのか、それは大きな問題だ。欲望は常にそこにある。欲望がなくなったら死んでしまう。よく棒を飼い慣らさなければならない。欲望に従うことは、甘美な罰に似ていることも多い。それが分からないのならば、道徳に従って生きるしかない。

 

悲しいことも、あるだろう。生きることが、つらいこともあるだろう。それでも知りたいことがあるならば、それが欲望だと思う。わたしは、知りたい。知りたい。

 

おわり。

過去の恋愛がクズすぎて悲しみにくれるはなし

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できるだけ何もしないで過ごしている。何かしてないと不安になるタイプなので、何もしないでいるのはなかなかたいへん。

 

近頃、珍しく恋愛について考えている。馬鹿みたいなことを言ってゲラゲラ笑っている人ほど寂しがり屋だ。そして怖がりだと思う。

一応、結婚もしたし、付き合った人もいたけど、なんか冷静に思い出すと、おいおいってエピソードだらけだなと今更ながら思う。「それは、あなたが相手をそういうふうに変えてしまってるんですよ」と言われたけど、結局みんなそうだったのかなぁ。

とにかく多いのが、付き合っていることを隠されるパターン。付き合っていること隠されるは毎度毎度のことで、地元の友達が遊びに来るからデートの時連れてきていい?って言われて、いいよ、と答えたのだが、待ち合わせ場所に行ったら彼氏に「久しぶり」と言われて「友達」と紹介される。いやいや、久しぶりって先週も遊んだじゃん…って心の中では思うんだけど。でもここで思わずわたしも「久しぶり」って言っちゃうんだよなぁ。「久しぶりってなんでよ!(笑)うちら付き合ってるじゃん!」とか可愛く言えたらいいのだろうか。ちなみに、結婚してる時も、夫の職場では夫は独身ということになっていたらしいし、実家に帰れば「親戚が来るから隠れてて」と言われる始末。最悪だわ。そんなにわたしはダメな女なのかな。やめてよって言えないのはダメだなと今は思うけど。そもそも、やめてよって言わなくていい関係が良かったな。

他にも細々したエピソードはいろいろあって、支払いの時いつも小銭入れしか開けない人、旅行に3000円しか持ってこない人、相手の誕生日に2人で飲んでたら飲みすぎてテーブルで吐く人、同棲しようって言うから家を探してたら「お前が暇そうでムカつく」と言って別れ話してくる人、「次会った時はビックリするよ」と言われてなんのサプライズかと思ったら自分がストパーかけたって話だった人、わたしの誕生日にご飯に行ったら割り勘だった人、デートにお弁当作ってきてって言われてがんばって作ったけど終始無言で食べてお礼もなく終わった人、相手の家に遊びに行った時に風邪で熱を出してしまって寝てたら「そこに居られると休みなのに何も出来ないから帰って」と言われた、とか。もう何だろう、悲しい。悲しすぎる。

 

いつも「付き合い始めた頃は優しかったのにどうして…」と思ってたけど、わたしがなんでも許してしまう上に怒らないし、何を言ってもいい関係になってしまったのだと今は思う。わたしは人と付き合うと、嫌われたくなくて何も言えなくなってしまうのだ。しかし、こういうのは今考えると何ひとつ幸せじゃなかったな。わたしの自尊心をゴリゴリにすり減らしてくる相手に好かれようとしてもなんの意味もないな。などと、過去の恋愛を振り返って悲しい気持ちになっています。

 

恐らくわたしは今、何かを誰かに与えることに疲れてしまってるんだと思います。もう何もしたくないです。甘やかされたいです。大人だけど。

 

終わり。

ポートフォリオレビューでウナギの話をされた思い出

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特に理由もないけど、昔のことを思い出したりしている。

数年前までは、わたしは写真作家を目指していて、それはそれは一生懸命にやっていた。社会人になって子どもができてからも、どうしても学校に行きたくてまた通ったし、唯一ひとりになれる平日の休みは美術館へ行ったり、カメラを担いで出かけたりした。なかなか思うようにいかなかった。

 

1番最後に受けたポートフォリオレビューのことを、今でもたまに思い出す。写真を人に見せることは何度もあったけど、たぶん、わたしの心が折れたポイントがあるとしたら、その時だと思う。ポートフォリオレビューはレビュアーを選んで何人かに見てもらうものだったのだけど、とにかく何ひとつやりたいことが分かってもらえなかった。作品の強度も足りなかっただろうし、まぁ、つまんなかったんだろうな。端っこみたいなところをコテンパンに叩かれた。まぁ、それはいい。それはいいのだが、最後のレビュアーの人のレビューのときだ、作品のプレゼンを終えたところで、出身地の話から、ウナギの話になったんだ。ウナギ、おいしいよね、おいしいお店知ってる?みたいな。これはもう、本当にショックだった。一瞬で、ああこれは作品が面白くないし何も言うことがないってことなんだろうな、と理解したけれど、そうされたら反論さえできない。他のレビュアーのときはまだ反論もできたけど、ウナギの話をされたんじゃ、なにも話せない。結局、終始適当な雑談となり、その人は時間が来た瞬間に隣のレビュアーの人と2人でランチに出かけて行った。わたしは机にひとり残された。作品を箱に戻す。屈辱的だった。本当に悔しかったし、情けなかったし、何が何だか分からなかった。

 

嫉妬心もあるし、劣等感もあるし、ずっと、まるで片思いしている中学生みたいだった。あの作品より、わたしの方がいいのに。わたしだって面白いもの作るのに。どうして分かってくれないんだろう。誰かわたしを見つけてほしい。やれどもやれども、見えるのは自分の才能の限界と、物理的、時間的限界だった。

 

ウナギ大好きなんだけど、ウナギを食べる度にあのレビューを思い出すんだ。ウナギの話をされて、わたしの口元はとてつもなく歪んでいただろうと思う。ニコニコと人当たりよく陽気な人だった。でも、何かで上り詰めている人というのは、どこか冷静で残酷なところがないとダメなんだろうなと思う。そういう人じゃないと、極めるってできないんだろうな。いわゆる、偉い人を見てるとそう思う。

 

特にオチはないわ。悔しかったな。ほんとに。